卓上の散乱と現実の戦乱
とある2DKのアパートの一室。フローリングの床の上、でっかい机が壁際にどんっとおいてある。
白い壁に大きな窓、かかっているのはピンクのカーテン。
何の変哲もないこの部屋の中から、なにやら奇妙な音がする。
シャッシャッという連続音は、ペンを素早く走らせている音。合間に聞こえるカサカサという音は、紙のこすれる音である。
部屋の中で、二人の女性がしきりと紙に鉛筆やペンを走らせていた。
一人は大きな胸をした、文字通りの「女性」。赤い長髪はゆるくウェーブがかかっており、プロポーションも良い。
が、まるで酔っぱらったように顔が赤い。…実際、酔っぱらっているようだ。
彼女の傍には、空になったビールやワインなどの酒類の空き缶やビンが転がっている。
それから見て分かるように、大酒豪。とにかく酒が好きで好きでしょうがない。名前はアリーシュ、職業は同人作家である。
「ねぇ、千緒の兄さん達はまだこないのかな?」
「そうねぇ。そろそろ来てもいいはずなのに、遅いわねぇ」
そして、隣で受け答えをしているのは。
『女性』と呼ぶにはまだ早い。まだ胸もぺったんな十代の少女だった。黒髪の小さなツインテールにやや釣り目。
見た目はややツンデレ系かもしれない。が、いたって素直にアリーシュの言うことを聞いている。
少女の名前は樫枝千緒(かしえちお)。アリーシュの同人作家仲間――といいたいところだが違う。
原稿の売上の一割をもらうという約束で、アリーシュに一時的に雇われた。いわば有料アシスタントである。
「ここにはベタを塗ってほしいんだな。あと、お酒がそろそろ切れそうだから買ってきてほしいんだ」
「あぁ、ベタね。真っ黒に塗りつぶせばいいんでしょ? それと酒なら、兄さんが持ってくるはずだけど・・・」
どちらも、喋りながらせっせと手を動かす。
「あぁ、締切が近いのに全然終わらないんだな。それと濡れた服の被写体が欲しいんだが、今すぐには無理か?」
「ごめんねぇ、あたしじゃ無理だわ。兄さんが来たら、水をぶっかけて撮れるんだけど」
「そうか。なら後で良いかな。ところで千緒、手がすいたら、我輩、何かつまめるものが…」
「そーね、お腹が空いてきたもんね。じゃ、枝豆で良い? 何か台所にあったから、塩ゆでにすればすぐ食べれるわよ」
「うん、それで良い。それじゃあ、頼むんだな」
次から次へとくるアリーシュの要望に、しかし千緒は律儀に従っていく。なかなか献身的だ。
これでタダでアシスタントをやっているのなら、実に見上げた根性だが…
まぁ、金で雇われているにしても、キッチリやることをやっていれば文句はなかろう。
アリーシュは机にむかって一心不乱、そんな彼女を応援すべく、千緒は台所に行って枝豆をゆで始めた。
「しっかし、兄さんったら何やってんのかしら。もう約束の時間を七分も遅れ――」
ピンポーン♪
「あ、きた」
「我輩が出るよ。千緒は火元に気をつけるんだな」
「分かった」
ドアホンの音を聞き、アリーシュはペンを走らす手をいったんストップさせた。
気分転換もかねて部屋を出、廊下を数歩あるいて玄関に出ると、鍵をあけて客人を迎える。
「どーも、こんにちは。いやぁすんません、遅れて。何しろ初めて来たんで」
「おい、タダメシ食えるって本当か? あ、アンタがアリーシュか、こりゃどうも」
客は二人、少年だった。どちらもアリーシュではなく、千緒と同じくらいの年ごろである。
一人は大きな袋を持ち、白いYシャツに、頭にはピンク色のヘッドフォンをつけている。千緒に少し顔が似ている。
もう一人は黒い服で、えらく目つきが悪く、おまけに髪の毛がバサバサしていて荒っぽい。顔は此処にいる誰とも全然似ていない。
「失礼、えーと、はじめまして。オレは樫枝世生(かしえせお)といいます。千緒の兄です。あ、それとこれ、差し入れです」
ヘッドフォンの少年は礼をし、自己紹介をしながら手に持っていた袋を渡した。
差し入れと言ったが、袋の中には大量の酒が入っていた。見るなり、アリーシュは嬉しそうに笑う。
「ありがとう」
「どういたしまして。…んで、こっちが」
次いで、仁王立ちしている相方を軽く手で指し示す。
「夜闇行森(よやみゆきもり)ていいます。えと、オレの友達っす。どうぞ宜しく」
「ああ、こちらこそ、初めましてなんだな。我輩がアリーシュだ。さ、あがってあがって。早速、原稿の手伝いをしてほしいんだな」
アリーシュもさっさと自己紹介し、少年ら二人を中に案内する。
玄関をあがり、すたすたと歩く彼ら。
と、台所から茹でた枝豆を大量にかかえた千緒とバッタリ出くわした。
「あら、やっぱり兄さん達だったのね。遅かったわね、七分四十八秒も遅刻よ」
「細けぇよ! 秒単位で時間を見るな」
行森が怒鳴る。この男、見かけも荒っぽいが口も荒っぽい。
「いやぁ、ごめんごめん。道に迷ってさぁ」
「まったく、ほらそれじゃあさっさと部屋に行ってポーズをとって」
「はぁ」
行森とは違い、世生はそれに比べればずいぶん大人しい。だが、それは隣が乱暴な奴だからそう見えるだけだろう。
とかく対照的な彼らを見、アリーシュは一言。
「うん、行森は攻めで世生は受けなんだな」
「…あ?」
「へ?」
攻め。受け。
イキナリ出てきた単語に、少年二人は一瞬きょとんとする。
「そーねぇ。兄さんはヘタレだからそうなるわね。あまりにヘタレすぎて受けもちゃんと出来るか怪しいのだけれど」
ポカーンとした空間に、千緒ののんびりとした声が響いた。
「………」
「…おい」
「ほら、枝豆あげるからさっさとやってよ」
「や、ヤるって何おぉ?!」
ようやく理解が出来たのか、世生が悲鳴に近い大声をあげた。
「ちょ、待てよ。ヤるって何。千緒、お前は実の兄に何をさせようとしてるんだい?
…そりゃ、確かに聞いてたよ。アリーシュさんは同人…それもBL作家だってこと。
構図とかポーズとかの参考にするには、女の子よりオレみたいな野郎が丁度良いから、だからオレが呼ばれてきたんだって。
んでもって、一人じゃ絡み絵を描けないから友達を連れて来いと言われたこともぜんぶ了承している。
でもそれはあくまでアシスタントであって、オレにはどういう趣味はない!!」
「あぁ、そうなのかい? それは残念なんだな」
「ざ、残念じゃないっすよアリーシュさん」
千緒に続き、さらっと言葉を口にするアリーシュに、世生は顔色を変えて食いついた。
「そりゃあ、妹が前金もらったそうですから、仕事はちゃんとしますけどね。
でも、野郎相手にアレコレする趣味はオレにはないんですよ。頼みますから。想像にとどめて下さいって」
「そうか? やる趣味はなくてもやられる趣味はあるのかと思っ」
「だから、嫌ですよ! 断固、オレにはそういう趣味はないですってば」
「まぁまぁ兄さん落ち着いて。何も冗談にそんなに食いつかなくたって良いじゃない」
「…仮にあったのだとしても、オレにだって相手を選ぶ権利くらいある。どうして行森が相手なんですか、よりによって!」
本当に絡めといったわけでもないのに、かなりムキになって食いついてくる。
妹の千緒の言葉も耳に入らない。よっぽどそれが嫌らしい。
が、仮にも此処まで一緒に来た友人に対し、ここまで言って良いものだろうか。
「おい。さっきから黙ってきいてりゃお前、随分ムカツクこといってくれんじゃねーか」
案の定、行森が声を荒げた。
「自分の事を棚にあげてそりゃ何だッ! 一体何様のつもりだ。お前に選ぶ権利があるなら、俺にだってその権利くらいあらぁ。
お前みたいなヘタレを相手にするほど、俺ぁ落ち潰れちゃいねーぜぇ」
「お、オレだって。お前みたいな乱暴な野郎を相手にしてたら命がいくつあってももたない」
「そもそも俺は野郎にゃ興味がねーんだよッ。オスの胸板を見たって嬉しくねぇや。それでも鍛え上げられた肉体なら感心するが、
お前の貧層な体を見たって面白くも楽しくもねぇよ。まだ千緒のつるぺた見ていた方が興奮すらぁ」
「言ったな?! その言葉、そっくりそのまま返してやるよ」
「俺は貧層じゃねーよ、鍛えてるから。バカヤロー、相手をよく見て物を言え」
「あと、オレのことを悪く言うのはとにかく、妹の事を悪く言うな。つるぺたをバカにするなよ?!」
「言い返しが遅い。あと、別に馬鹿にしてねーよ。俺が馬鹿にしてんのはてめーだけだ、このシスコン」
「うるさい。誰がシスコンだ、この外道!」
「お、おいおいお前たち。喧嘩はよしたまえよ。困るじゃないか、大事な原稿を破ったら承知しないんだぞ?」
アリーシュの言葉は、しかしどれほどの効果があるものか。
マズイと思ったのか、千緒がさっと近くに散乱していた原稿をとりあげ、無難と思われる場所に避難させた。
…その判断は正解。
アリーシュが呆気に取られて見ているうちに、いい合いがどんどんエスカレートし、とうとう二人は取っ組み合いの喧嘩をし始めた。
ご丁寧にも世生が、頭につけていたヘッドフォンを外したのはご愛敬。しかしどったんばったん、上になり下になりの大暴れだ。
「もう、こら! 静かにしてくれないかな? こっちは忙しいんだぞ」
「全くよ」
原稿をしっかり死守しつつ、千緒もブツクサ言った。
「喧嘩は自由だけど、こっちにぶつかってこないでよ。インクがこぼれたら大変なんだからね。
まぁいいわ。アリーシュ、二人は放っておいて描いちゃいましょ。〆切、近いんでしょ?」
「あ、ああ。そうだった。それじゃあ、やるか」
最後の二枚を二人で分けて持ち、アリーシュも千緒も、共にその場から避難した。
が、その途中、何を思ったのかアリーシュは千緒に何やら耳打ちをした。
「え? 何…あ、うん。はい、あ、分かった。はいはい」
数秒後。千緒はハイハイと返事をし、懐からデジカメを取り出した。
そしてドタバタ取っ組み合いをしている二人の方に行った。が、止める様子はない。
カメラを手に構え、ひたすらパシャパシャとシャッターにとる。
その間、アリーシュはせっせと手を動かしていた。
描きかけの原稿はまだまだ終わらない。だがこれを、明後日までに仕上げなくては。
…しばらくして、千緒が戻ってきた。世生と行森の喧嘩はまだ続いているが、まったく素知らぬ顔だ。
「とれたわよ」
「あら、ありがと。…あ、表情はアレだけど体はよく映ってるんだな」
「なめてもらっちゃ困る。違法写真から合法写真まで、撮影のプロとはあたしのことよ?」
「頼もしいな〜。それじゃあ、この調子で…あとはこれ、パソコンに落として印刷を」
「はーい」
先ほど、アリーシュが千緒に提案したのは『ケンカしている二人を、うまく絡み絵にみたてて撮影してくれ』というものだった。
災い転じて福となす、どたばたとっくみあっている少年たちの絵を絡んでいる絵に見たてようという魂胆だ。
もっとも表情が硬いというか、今にも相手を喰い殺そうとしている顔なのかいただけないが、まぁ体はこれで良い。
兎に角、千緒は良い子な返事をし、またさっさと作業に移った。
接続のための器具を引っ張り出し、あれこれパソコンに差し込んでゆく。デジカメとこれをつないで――
と、その背中にアリーシュは思い出したように声をかけた。
「ああ、それを悪いんだけどな、後ろから羽交い締めにしているポーズが欲しいんだが、あるかな?」
「あー…ちょっと待って」
千緒はその時、ちょうどパソコンをつけて起動が完全にされるのを待っていたところだったが、言われてまたカメラを弄り始めた。
「ごめん、ないわ。撮影する?」
「うん、お願いできるかな」
「そーねぇ…ちょっと、兄さん」
被写体になってもらおうと、千緒は呼びかけた。が、肝心の兄はと言えば、取っ組み合いの最中でそれ所ではなかった。
「こんのボンクラぁ! やっぱりお前だけは許さん。この俺が成敗してくれるわ!」
「誰がボンクラだこの野郎。オレがボンクラならお前は…えーっと、何だろう…」
「思いついてないなら言うな。ケッ、だからヘタレだって言うんだよ」
「ヘタレと言うな、気高く『癒し系』と言いたまえ」
「何だよその口調。ムカつく! ていうか癒し系とヘタレは違うだろーがボケナスがああああ!」
「だ、誰がボケナスが。この…ええと、この…トラウマ…じゃねぇや、み、ミケネコ? いや、化けネコめ!」
「訳がわかんねーんだよ。だから、思いついてないなら喋るな。みっともねぇ」
口と手を同時に動かせる行森とは違い、世生は手を動かすと口は働かないらしい。
言葉につまる彼を罵倒しつつ、首をしめにかかる行森。喧嘩なら黙ってすれば良いのに…
あまりに騒がしい様相に、写真を千緒にまかせ、自分はトーン貼りに移っていたアリーシュは一言。
「ああ、うるさいんだな。千緒、やっぱりそいつら、何とかしてくれないかな」
「ごめんごめん。…でも、惜しいわー。これで兄さんが後ろを向いててくれれば、ピッタリの写真が撮れるのに」
「いや、羽交い締めってそういうのではないからな。今、彼は首を絞めようとしているぞ」
「大丈夫でしょ、ちょっとくらいシメたって死なないから」
千緒の言葉は、的確だがちょっと冷たい。まぁここはひとつ『冷静』といってあげることにしようか。
「…それよりアリーシュ、前に『濡れた服を着ている被写体が欲しい』って言ってたわね?」
「ああ、言ったな。どうもな、濡れた服が体に張り付いているのがどういう感じなのかよく分からんのだ」
「それなら簡単よ。床が塗れちゃうけど、この二匹にお酒ぶっかければOKだから。
行森は黒い服だからアレだけど、都合よく兄さんは白いシャツだし、格好の被写体じゃない」
「おぉ、成程」
アリーシュはさっと酒瓶を手に取った。そしてツカツカと二人の元に足を運んだ。
その時、まだ世生は行森に後ろから首をしめられてじたばた暴れていたが、そんな彼らの頭上に。
バシャッ!!
「冷てぇ! な、なんだぁ?」
行森は驚き、世生をつかんでいた手を緩めた。
「ゲホゲホ…うわ、酒だ。あああ、アリーシュさん? 何すんですか。いや…どうも。でもおかげで助かりました」
緩まった手から素早く抜け出した世生。げほげほと言いながらアリーシュに文句と礼を言う。
「ちょっとじっとしていてくれるかな?」
先の行森に呼び捨てにされたことはさておいて、アリーシュはぐるっと彼らの周りをまわってじっくりを観察していた。
「うんうん、成程。それじゃあ千緒、写真を頼むぞ」
「りょーかい」
「へ? おい、ちょっと」
「あー動かない動かない。そのまま、そのポーズで固まって…ああ、いいよ。そう、その表情。
もうちょっと二人くっついてー…はい兄さん、顔を少しあげる! んで行森は遠くを見るような感じで〜はいOK!」
パシャッと音がして、写真が撮られた。
写真なんて、さっきからもう何枚も撮られまくっている。だが…
「おいー!おい世生、お前の妹はいったいどういう根性をしてるんだァ?!」
千緒にいわれ、嫌々ながらくっついていた二人はぱっと離れた。というより、行森が世生を蹴とばして離させた。
世生をひっぺがすと、行森は早速彼に文句を言い始めた。
「ったくよう。実の兄にAVやらせようってのかゴラァ」
「お、お前は千緒の兄じゃないだろ。兄はオレだ。ていうかAVじゃないだろ、写真だろ」
「似たようなもんだろ。ていうか俺に気分としてはそーゆう感じだ。くそぅ、何で貴様と絡んだところを撮影されにゃならんのだ」
よほど気に入らなかったらしく、終わったことをブツクサ言ってる。だが、そもそもそれが仕事なのだ。
意外にもすぐ、彼はあきらめた。そして、今度は別の欲求を言う。
「おい姉さん、アリーシュさんよぉ! 替えの服ってあんのかい」
「替え? ああ、我輩の服ならたくさんあるぞ。何しろ此処は我輩の家だし、そりゃもう種類は豊富で――」
「ってアホかー!」
「うへっ」
彼の大声に、話しかけられたアリーシュより、世生の方が耳をぱっとふさいだ。ヘッドフォンがないのが災いしたようだ。
「女モノの服が着れるか。俺ぁ女装の趣味はねーんだ。男物の服を着るんだよッ。なけりゃジーパンとかそういうので良いから」
「え? ダメかな。やってもらおうと思ったのだが…」
「をぉい! 姉さんよ、俺が女装をして似合うと思ってんのかぁ? 俺ぁ生まれてからこのかた、女と間違えられたことはねぇ」
「確かに、行森は女顔ではないねぇ。でも、化粧をすればなんとか」
「え…?!」
「ちょっと、だめよアリーシュ」
どの服にしようかと本気で考え始めたらしいアリーシュに、千緒が待ったをかけた。
「今は原稿を仕上げなきゃ。服は適当なの着せてれば良いわ。風邪をひかない程度にね」
「そうか。…そうだな、風邪をひいたら大変だしな。でも、病気の人を看護するシチュというのも美味しいのだが」
「ムリムリ。現実ではただ面倒なだけだから」
言いながら二人はまた作業に移る。鉛筆で描いた下書きの上にペンを走らせ、十分にインクが乾いたところで消しゴム。
べた塗りに効果線、トーン貼り。それはひたすら地味な作業。一つのマンガをしあげるというのは大変なのだ。
「千緒、さっきとった写真は印刷できたかな?」
「あ、ごめん今すぐやる。…パソコンが読み込んでくれるまで時間がかかるから、その間にこっちのトーンやるわね」
「ああ、ありがとう。いや、しかし本当に助かるんだな、千緒は手先が器用だ」
「ありがと。ま、あたしだって仕事よ? 貰った分はちゃんとやりますから」
そんな千緒にアリーシュは笑い、先ほど世生から貰った酒のビンをあけた。
原稿の途中だというのにぐびぐびそれを飲み、しかし特にフラフラする様子もなく、普通にペンを走らせる。
その一方で、先に酒をぶっかけられた少年二人は。
「あぁ、酷い目にあった。おい、枝豆食っていい?」
「オレのもんじゃないから知らねぇや。妹に聞いてくれ」
「おーい、千緒、千緒! …ダメだ聞いてねぇ。いいや、もらっちめ」
「え?おい、そんな勝手に」
「いーんだよッ。俺はそもそもタダメシ食うために此処に来たんだからな。今日はここでメシをいっぱい食って家に帰るんだ。
ああ、一人暮らしは辛いぜ。俺のような幼気な少年がメシに餓えてついにアダルトモデルだ。
それにひきかえ、お前はいいよな。家事万能な妹がいてさ」
「いや、そうでもないぞ。『金のためなら何でもやる』って言って…こういうとんでもない仕事を引き受けてきたりもするからな」
「…あ、そうか」
マンガ描きのアシスタントとは、そんなに言うほど『とんでもない』仕事なのだろうか。
だが、こうして兄貴や友人まで巻き添えにするなら、そう言えなくもないかもしれない。
降りまわされる彼らの苦労はつきない。とりあえず頭が冷えて喧嘩はやめた。
酒臭さの漂う中、アリーシュの投げたタオルで体をふく。しかしその途中でふと見れば。
「…これちょっとぼかしをいれてくれるかな?」
「分かった。あ、ところでこれは?髪の毛ベタでよいの? それとも塗らないの?」
「ああ、これは主人公のライバルなのだな。このキャラクターは色を塗らないのだ」
「了解」
チャッチャと働く二人の姿。その後ろ姿は実に『働く女性』
決して悪いものではない。ないが――…
「オレさぁ、時々アニキとして空しくなるんだよな」
「そうか、俺は男としてなんか空しくなってくるぜ」
夢は夢、現実は現実。分かっていたことではあったが、しかし二人の少年は深いため息をついた。
アルコールで濡れた服は、もう随分かわいてきている。
この液体のように、夢だけ見て昇天出来れば良いのに――と。
そう、思わずにはいられなかった。
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